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気まぐれ東大生の思想

自分を生きること〜死生観の変化〜

こんにちは.

卒論の中間報告という精神世界の旅から俗世間に戻ってまいりました.

この期間は(1ヶ月ほどあったのですが),本当に心が落ち込んでいて,様々な思想に向き合っていたので,結構僕の価値観に大きな変化が見られました(僕はポジティブなものだと思っています).
今までは,「人生最大の目的は幸福である」という定義の下,「自分のしたいことをする」「幸せになる行動をする」といったことが,良い人生を送るための秘訣ではないのかと考えていました.

そして,「自分の価値は他人が決める合計値である」という思想のもと,僕は自分の生死に関しては中立であると考えていました.僕が死ぬことで喜ばれる合計値が悲しまれる合計値よりも大きいのなら死ぬことも肯定できるものなのかなと(現代社会でそんな状況になることがまず無いのも,もちろん理解しています)
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まずは,前者について「幸福」という言葉の僕の中での定義は変わっていないのですが,「人生の目的である幸福」に向かうにあったって,目の前の幸福を得ても,それを得ないことにより得られたより大きな幸福が存在した場合,それは幸福なことなのか.(極大値と最大値は違うのです)

目の前の幸福を選択することが人生の究極的な意味で幸福たり得るのか,そんなことは誰にもわかりません.ではどのように行動を選択していけば良いのか.

その答えは「在り方」なのではないかと今は考えています.未熟な僕,幸福という山があった時山を登りきるまで,他の山に比べてそれは高かったのかどうかが判らない.しかし,人生の終盤に差し掛かった幸福という名の山を登る玄人は,どのような選択をしていけば最終的に最も大きな山にたどり着けるかということがわかってくるのではないだろうか.それが先人達の残した「然るべき生き方」なのではないか.それは宗教であったり倫理であったり文学であったり様々な形で残されているであろう.
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よって,今は,「自分が幸福になれると思われる行動をとる」ことよりも,「青山和暉が青山和暉を生きる」ことを選ぶべきなのだと考えます.様々な成功者,偉人達の生き様を参考にして「自分の生き方」を考え出し,そしてそれを貫いていこうと.たとえ貫いた結果地獄のような境遇に陥ったとしても.

今はそういうことを考えながら勉強をしています.

それに伴って,いままでの僕にとっての「自分の価値」とは違ったことを考えるようになりました.僕が僕を貫くことで僕が僕自身に価値を見出すことが大切なのであって,誰かが勝手に決めた僕の価値のために自分の在り方を決めるべきではないと考えます.他人にどう思われるかはあくまで参考的指標であって,それに左右されて自分の在り方までを変えてしまうのは「目の前の幸福の山を登る」ことと同じことになってしまいます.大切なのは自分で決める自分の価値.それを認めてくれる人がいるのは嬉しいことではありますが.

結局,今までと変わったことは「常に良いと思われることを判断し選択していく」のではなく「自分のあるべき姿を見定め,それを貫いて生きる」ことを信条にするようになったということです.自分を貫くことで,どん底にまで落とされても,独りになったとしても.

なので,これまで以上にワガママになるとおもいますし(横暴という意味ではなくて),人間関係に気を使わなくなると思いますが(これでも今までは結構気を使っていたのです.笑),「隣にいる人間を死んでも裏切らない」というのは僕のきめた「在りかた」なので,ついて来られる人だけついて来てください.
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