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気まぐれ東大生の思想

「人に嫌われる勇気」

さーてさて、最近頭を使うことから抜け出せずにいるaoyamanです。

年末の締めは実家に帰ってからするとして(12/27に帰ります)、今年最後のテーマを持った投稿をしておこうと思います。

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皆さんもご存知の通り、僕はこの極端な傲慢さのため人付き合いがあまり上手ではありません。それでも、少し前まではそのことを認めたくない、「自分は善い人間である」と思いたいという願望から、少し無理をして人と接していました。

ただそれは、所詮「作り物の自分」であり、節目節目で傲慢さによる反動が現れ、人との関係を悪くしていたかのように思います。最初はキャラが立つため、いろんな人と急激に距離を縮められますが、半年も経てば僕の周りに人はほとんど残っていませんでした。

僕は傲慢です。残念ながらそれは今でも変わらない事実です。今ではそれを認めた上でどのような生き方をしていくのかということを考えるようになりました。

以前、「幸せになれそうな道を選ぶのではなく、この道を選んで不幸になるのなら仕方ないと思える道を選んでいくべきだ」といった風な投稿をしましたが、それと同じで「人に好かれる自分でいるのではなく、この在り方で人に嫌われるのなら仕方がないと思える自分の在り方を追求していく」ということが大切なのではないかと考えています。

僕は性格があまりよろしくはありません(笑)。だから、「在るべき姿」というものを人一倍考える必要がありました。その自分の哲学とも呼べるものを構築していくことで、自分の在り方を変えていくことができるのです。

例えば、「めちゃくちゃ暴力的な性格」の人間が「絶対に人を傷つけない」という哲学を持った瞬間に、暴力的な性質は悪さをしなくなるのです。

「これは、作り物の性格ではないか」そういうツッコミが来るかもしれません。先述した「作り物の自分」と異なるのは、「自分で考え辿りついた答えであり、絶対的に正しいと信じている」という点です。

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世の中の人に好かれたい、出世したい、人気者になりたい。こういった願望から導き出される自分の姿というものは、しばしば不条理です、自分の本質に合っていなかったり、自分や他人を騙さなければならなかったり、理解のできない在り方をしなければならないこともあります。

それに対し、自分はどう在るべきという問いに対して考え抜かれた内なる自分から導き出される「答え」というものは、どこまでも合理的なものなのです。

僕は、人に好かれるために自分を変えることをやめました。なので、以前にも増して僕に嫌悪を抱く人も出て来るかもしれません。

しかし、自分の在り方を考え貫くということを本気で行うようになりました。そんな自分の周りにいる友達、仲間というものは真に価値のあるものであると考えています。
まだ青二才であるため、ブレるし迷うし間違えるかもしれないけど、僕は自分の在るべき姿を貫いていこうと思います。真友の皆さん、これからもこの傲慢な僕をどうぞよろしくお願いいたします。

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  1. 2016年 12月 23日

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